私の年収、教えます。

 

という人に、あまり出くわしたことが無い。当たり前だ。
でも、なぜそれが「当たり前」なのか? 年収の話は、タブーなのか。
週刊SPA!誌などで「年収300万のサラリーマンの負け組私生活」みたいな記事はよく載っているが、よく載っているということは、世のサラリーマン諸兄はその辺の話に興味があるということだ。自分が世の中でどの辺の位置にいるか不安になる、その気持ちがSPA!を店頭で手に取らせる、のだろうか。
しかしSPA!誌を読んだところで、全く知らない匿名の他人の年収話が掲載されているだけであり、自分と同期、友人、もしくは同級生の中での自分の位置みたいな具体的なことまで分からない。なぜなら、誰も自分の年収の話をしないからだ。

これはこのような理由が考えられる。
まず他人と年収話をした場合、必然的に「額=ステータス」となり、少ないとみじめになり、多いとひがまれる。どちらとも気分の良いものではない。
もしそういう話になったときはできるだけ低め低めに見積もることが相手への礼儀というか、「気を遣ってる」感じを出すのに有効とされている。「ボーナスは、スズメの涙ほどしか出ない。」とはよく言ったものである。
そもそも「スズメの涙」って具体的にいくらだろう?

年収話は、ある線を越えると平気でするようになる。六本木ヒルズの成り上がり金持ちさんなどは、全く謙遜しない。お金があることを全く隠さない。
そんな成り上がり社長にとっての「スズメの涙」だと、ざっと500万くらいだろうかね。500万を「スズメの涙」と言い切ったら、強烈な謙遜であり、イヤミだ。言ってないが。

そもそも一般人にとって「スズメの涙」って、金額にしてどれくらいの値段を指すのか? 20円や30円をスズメの涙と言うなら分かるが、30万や40万といった金額は、もっと別の呼び方を提案してはどうだろう。高度成長期以降のサラリーマンへりくだり最強コンボとして、「ネコの手も借りたいほど働いて」「スズメの涙ほどの手取りをもらい」「ネコの額ほどの家に住む」というのがあるが、時代は平成新時代。グローバル・スタンダードの時代である。ならば、もっと別の言い方に変えたほうが良いのではないか?

具体的に、たとえばボーナス30万や40万くらいで買えそうなもの…、「ゾウのキバ」「シカのツノ」とかその辺だろうか? さすがに象牙は30万では買えない? 分からないが、「ゾウのキバほどのボーナスで…」なんて話されるとだいたい「ああ、30万円ほどか」と分かるし、具体的な金額を言うほどのイヤミな感じがしないではないか?
金額をはぐらかしたい場合には、「レオポンのウンコ程度の…」と比喩すれば良いかも知れない。レオポンのウンコ、高いのかゴミなのか分からんし。

僕の年収ですか? キリンのあくびくらいですかね。